■ Daihyou - Kikou 2017 ■

◇2017年9月19日付◇

 

〈高野さん受賞式〉

 

東京オペラシティにて

 
2017年9月15日、第20回文化庁メディア芸術祭に初めて参加した。

ナビを頼りに何とか新国立劇場にある東京オペラシティにたどり着く。

さすが日本の首都、その規模、斬新なデザインに圧倒される。

こんな場違いの所に来たのにはこんな理由があった。

 

すべてのマンガコレクターは青虫状態に憧れるという言葉がある。

青虫とはホントの虫ではなく、福島県只見市にある究極のマンガ図書館のこと。

ここの館長高野行央さんが、今年の文化庁メディア芸術祭の功労賞を受賞することになり、

コレクター仲間としてお祝いに駆けつけたというわけだ。

 
アート部門、エンターテイメント部門、アニメーション部門、マンガ部門の受賞式のあと、

いよいよ功労賞の番になる。

  

高野さんは甥っ子から借りてきたというモーニングを着用し、緊張の面持ちだったのでちょっと心配したが、

受賞の挨拶は実に落ち着いたもので、コレクター人生をこれまで支えてくれた奥様への深い感謝の気持ちが溢れていた

  

その後開催された懇親会では文化庁長官が高野さんに挨拶に来られたが、その時、

これまでいろんな挨拶を聞いてきたがあれほど自分の奥さんに言葉を尽くした挨拶は初めて感激しました

というコメントが寄せられた。

 

同じコレクターとして、これほど励みになることはない。

おめでとう高野さん! おめでとう青虫!

 

以下は初めての青虫探訪記である。

 

 

青虫とは

 

2017年6月26日、そこへのアクセスの不便さからなかなか実現しなかった、福島県只見にある

昭和漫画館青虫を訪ねることとなった。
古いマンガに興味のあるファンの間では一生に一度は訪れたい聖地として知られているのがここ青虫である

そのネーミングの由来を館長に聞くと、さすが戦後マンガ第一世代だなと思わせる答えが返ってきた。

  
現在の日本のマンガは、1960年代に発生した二つの源流がもとになっている。

一つは「マンガの神様」手塚治虫を中心とするマンガ界のメインストリームである。

  

新刊書店を流通拠点として全国に多数の読者を抱えていた月刊雑誌週刊雑誌作品を発表していたマンガ家たちが、1960年代に手塚治虫の周りに集まっていた

トキワ荘グループと呼ばれる石森章太郎赤塚不二夫藤子不二雄つのだじろうに加えて、手塚と同格の横山光輝

トキワ荘グループと親交のあったちばてつや松本零士らが代表的作家であろう。

 

彼らの作品を発表するために手塚が創刊したのが「COMという雑誌で、出版社は「虫プロ」。

青虫はここからとったものだ。

 

マンガの表街道ともいうべき月刊雑誌に対して、裏街道ともいうべきサブストリームを形成していたのが、

マンガの鬼白土三平らを中心としたもう一つの源流であった。

 

当時は全国に3万店以上あると言われた貸本屋を流通拠点として、漫画家たちは安い原稿料でマンガを描いていた。
さいとう・たかを水木しげる小島剛夕辰巳ヨシヒロつげ義春などの作品は、手塚の丸っこい絵柄に対して、

リアルな描線で描かれており、当時「劇画」と呼ばれていた。

彼らの作品を出版していた雑誌が「ガロ」。出版社は名編集長長井勝一を擁する青林堂

青虫」のはここからとっている。

 
青虫は二つの源流の水源近くで描かれた1960年代の雑誌単行本関連資料を中心に構成されており、

私たち団塊世代にとっては忘れがたいマンガばかりがズラリと並べられている。

 
・・・と、これから探訪記はまだまだ続くのだが、ここから先は私が寄稿している熊本の総合文化誌

KUMAMOTO20号を読んでいただきたいので、この辺で。

 

   

NPO法人熊本マンガミュージアムプロジェクト代表 橋本 博

◇2017年4月14日付◇

 

『4月14日に思う』

私が以前コラムを担当していた『金魚屋古書店』に、こんな話がある。

突然の地震で、金魚屋の地下に広がる『ダンジョン』の本棚群が倒壊。
床一面に撒き散らされたマンガを見て、途方にくれるスタッフたち。

そんな中。
即座に金魚屋の常連が続々と集まり、ボランティアで片付けを手伝ってくれる。
瞬く間に片付いていく倉庫。そして更に強固になる、マンガバカたちの絆。
彼らの力で、金魚屋は危機的状況から抜け出すことができた。

ちょうど一年前。
大地震が夜の熊本を襲った。
クママンの事務所と倉庫も震度6弱に見舞われ、協力関係にあった保管場所も全て被災した。

無惨に倒壊した本棚、とんでもない方向に飛んで行ったパソコン、無秩序に散乱し床一面を埋め尽くしたマンガ・・・。

しかもそれは二日を置かず、未明により大きく繰り返された。

今でもあの時の衝撃を忘れることはできないが、むしろ長く記憶に残るのは、本震後混乱が続く中にも関わらず
クママンのために駆けつけてくれた、多くのボランティアの皆さんの活躍ぶりだった。

現実に、『金魚屋』と全く同じ光景が繰り広げられたのだ。

気の遠くなりそうな作業も、みんなでやればあっという間に片がつく
おかげで、事務所も倉庫も、西合志の旧議場も、程なく元の状態に戻すことができた。

もちろん冒頭の『金魚屋』のエピソードは、作家さんの想像力で描かれたものだ。
だが、復旧までの過程があまりにもピッタリなので、ビックリしてしまう。

少し落ち着き始めたころ、各方面から義援金を賜り、被災地ということで様々な便宜も図って頂いた。
この場をお借りして、関係者の皆様に心より御礼申し上げたい
地震そのものは、確かに不幸な出来事だったが、思いを分かち合う多くの人たちとの結束は、

より強まったような気がする。

間もなく合志市西合志開館する、合志マンガミュージアムも、その結束なしには決してあり得なかったものだ。

震災で何度も中止の声が上がったが、関わる全ての人の熱い思いが、実現への大きなうねりを生み出し、

今夏ようやく開館を迎えることができる。


この記事をご覧頂いている皆様、改めてこの一年間の厚いご支援に深く御礼を申し上げます

どうぞこれからも、復興していく熊本引き続き見守って下さいますよう、宜しくお願い致します。




                        NPO法人熊本マンガミュージアムプロジェクト 代表 橋本 博